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日野まちかど感応館

建物外観
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博物館

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江戸時代日野椀に代わって行商の有力商品となり、日野商人の発展を導くものに合薬がありました。その創始者が正野法眼玄三です。
玄三は18才の時、日野椀やお茶・布を持ち行商に出ましたが、母の病気で帰郷、当時京都の名医の診療で母の病気をなおすことができたことから医師を志し、医師になった後は医薬に恵まれない山間辺地の人や日野商人の長旅の道中薬として感応丸を作りました。
この合薬を日野商人が全国に持ち歩くうちに効き目が評判となり、地元日野でも薬を製造する人も増え、現在も地場産業として息づいています。
日野まちかど感応館(旧正野薬店)には、今もなお「万病感応丸」の大きな看板が掲げられ、日野の薬業や町並みのシンボルとして親しまれているほか、日野の観光案内の拠点・休憩スポットとなっています。

〒529-1603滋賀県蒲生郡日野町村井1284

有り:23台

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