岩倉城跡

1/1
概観
史跡・庭園
コースに追加
お気に入り
マップ・ナビへ送る
市指定史跡。
室町幕府8代将軍足利義政のころ、幕府の権威が失墜し、応仁の乱という国内を二分する大きな争いがおきました。その結果、下剋上の風潮がみなぎり、“戦国時代“へ突入しました。
尾張においても、守護代として権力を握っていた織田氏に内紛がおこり、文明10年(1478年)織田敏定と敏広との間で激しい戦いが繰り広げられていきましたが、和議にて織田敏広が岩倉城で尾張北部を、織田敏定が清洲城で尾張南部を治めるという分割統治の時代になりました。その後、信秀の子・織田信長が天文24年(1555年)清洲城主となりました。このころの岩倉城主は、織田信安・信賢で、信長と反目しあい、永禄元年(1558年)、両者は浮野で戦い、永禄2年(1559年)信長は岩倉城を落城させ、尾張の統一を果たしました。
城の構えは、古文書によると東西約90m、南北約170mの二重堀であり、館と望楼があったといわれています。
〒482-0005愛知県岩倉市下本町城跡
無し