柴田親子の墓

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柴田親子の墓
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承応2年(1653)、亘理伊達家2代伊達宗実の小姓であった柴田彦兵衛が、無礼を働いた山形藩士を斬り捨て、仙台藩と山形藩の間で問題になった。宗実に迷惑を掛けられないと彦兵衛の父常弘が自ら切腹の作法を示し、彦兵衛も切腹して事件が解決した。称名寺境内にある県指定天然記念物ツブラジイの根元に3つの墓石が並んでいる。これは切腹した常弘と彦兵衛、彦兵衛の母の墓で「柴田親子の墓」と呼ばれている。